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2012.06.12 Tuesday
おがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」
このコーナーは、
島根が舞台となる神話が数多く登場する古事記が今年、編纂1300年を迎えたということで、
みんなで島根の歴史や文化を勉強していこう!というもの。
ゲストは、「リメンバーしまね」スタッフの「ざっきー」さん。
・「100年前の島根」について。
古事記編纂1200年も記念すべき年だと考えられていた。
かつて出雲大社宮司であり、また東京府知事や司法大臣などもつとめた千家尊福が中心となって
「明治44年(1911年)は古事記の撰述成りて朝廷に進献せられたるより恰も1200年・・・荘厳なる年祭を執行し、大いに千古の偉績を表彰せん」と計画し
松江では、明治43年(1910年)7月に「古事記 記念講演会」が開催された。
(千家尊福は、唱歌「1月1日」の作詞者)
東京でも明治44年(1911年)3月には、東京で「森厳なる紀年祭」が大々的に行われた。
1912年は、明治45年でもあり、大正元年。
この年に、山陰本線の京都〜出雲市間が開通。
その後、西に伸ばしていって、県内の山陰本線がすべてつながったのは、1928年。
また、出雲と大社間の大社線も100年前の6月1日に開通。一畑電車の前身である一畑軽便鉄道が創立したのも同じ年。
6月3日には、当時来県していた大隈重信が、8日には東京芸術学校長ほか東京の美術家一行18名が大社線で大社を参拝した。
この頃の島根の人口は、大体72万人くらい。(今が約71万人)
当時は、島根の72万人に対して、東京は268万人、およそ3.7倍。
日本全体の人口は、4932万人で今のざっと3分の1ほど。現代と比べると、過疎や過密はまだなかった。
実は、島根県の人口が一番多かったのは、昭和33年頃で、当時は約93万人。
その後、戦後復興が本格化するにつれ、全国の地方から、都市部へ人が集まっていく。
過疎、過密の問題は、このころからはじまってきた比較的新しい問題。
・今年はオリンピックの年。
日本が始めてオリンピックに参加したのもちょうど100年前で、ストックホルムオリンピック。
今年はロンドンオリンピックの年、島根からは、
ホッケーのさくらジャパン「山本由佳理選手・大塚志穂選手」の出場が決まっている。
また、テニスの錦織圭君の出場も、確実視されている。
陸上の杉原加代選手や荒井悦加選手も、出場が期待される。
・今日の一曲
茉奈佳奈の「いのちの歌」
次回は、6月22日の放送です。
http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=638
おがっちの島根歴史学講座!みたいな! 01:58 PM comments (x) trackback (x)