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2013.11.28 Thursday
おがっちの「島根学講座!みたいな!」
このコーナーは、みんなで島根のことをいろいろ勉強していこう!というものです。
今回の担当は、リメンバーしまねのはまぐり先生。
・「百人一首」について。
百人一首に選ばれている歌人について。
選ばれている歌人は百人ですが、この中には、島根県にゆかりのある人もいます。
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
参議篁(さんぎたかむら)=小野篁(おののたかむら)
後鳥羽院(ごとばいん)
・柿本人麻呂は、7世紀の終わりから8世紀の初め頃に活躍したとされる代表的な万葉歌人で、後には「うたのひじり=歌聖」としてあがめられた人です。
百人一首では、3番目に「あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」という歌が入っています。
「長い夜をたったひとりで寝るのかなー」という内容ですので、どことなく寂しそうな歌ですね。
石見地方に縁が深く、歌碑がいくつもあったり・・・「ひとまろさん」をお祭りした神社もあります。
万葉集に載っている人麻呂の歌には、石見地方を詠んだ歌も多いです。
そこからは、石見の地には依羅娘子という妻がいたことや、石見の地で亡くなったことなどがうかがえます。
「石見のや 高角山の木の際より わが振る袖を 妹見つらむか」など、石見各地の地名を織り込んだ愛の歌も多く残っています。
晩年は石見国庁へ官吏として赴任し、石見国で亡くなったと言われていますが、終焉の地「鴨山」についていくつもの説があるなど、その生涯は多くの謎に包まれています。
いずれにしても、人麻呂についての伝承が、石見各地に残っています。万葉の昔に思いを馳せながら、数多くあるゆかりの地を巡ってみるのもいいですね。
・小野篁(おののたかむら)について。
百人一首では、「参議 篁」の名で、「わたのはら 八十島かけてこぎいでぬと 人には告げよ 海士のつり船」の歌が、11番目に入っています。
9世紀前半に活躍した公卿で、学問や漢詩、和歌に秀でていた文化人です。
篁は、遣唐副使として唐の国に派遣されることになったのですが、正使とのいさかいの末、ボイコットして唐にわたらなかったことが、当時の最高権力者である嵯峨上皇の逆鱗に触れて、隠岐へ流罪になりました。
百人一首の歌は、まさに、隠岐へ渡る旅の途中で詠んだ歌とされています。
篁は、最初、中ノ島(海士町)の豊田に住んでいました。自ら創建したと伝えられる金光寺)の六社権現に100日間参籠して赦免帰京を祈願したと言われています。
その後、島後の那久の光山寺)に移り、壇鏡の滝に打たれて赦免を祈ったとも言われています。
学問に秀でた上に、一説にはあの小野小町の祖父であると言われている人ですから、ハンサムでプレイボーイだったみたいです。
当然、島の娘の心をかきたてないわけがありません。
恋の遍歴の中でもよく知られているのが、阿古那という名前の娘との恋です。
二人は相思相愛の状態であったのですが、篁は、やがて罪が許され、都へ帰ることになり、結局別れてしまいました。
篁は、悲しみにくれる阿古那を哀れんで二体の木像を彫り、阿古那に与えました。
これが、現在も隠岐の島町都万目に祭られている「あごなし地蔵」で、何でも歯痛にご利益があるとされています。
ちなみに「あごなし」とは、阿古那がなまったものであるとも言われています。
篁の隠岐滞在はわずか2年という短い間でしたが、この外にもゆかりの地や物語などがたくさん残っています。隠岐の島には篁の外にも歴史ロマンにあふれるものが多くあります。これらを訪ねながら島々を巡るのも良いのではないでしょうか。
・今日の一曲「愛の唄」オフコース
次回は12月13日の放送です。
http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=853
おがっちの島根歴史学講座!みたいな! 09:18 PM comments (x) trackback (x)