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2014.03.22 Saturday
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました休日の生放送〜家でゆっくりきいてます!という方からもたくさんメッセージをいただきました〜!うれしかったですよ〜!
私は、その前に〜出雲縁結び空港春まつりの司会をしてきましたー!よしととひうたの紙芝居ライブは盛り上がったし〜地元中学生&高校生の吹奏楽や合唱は心が洗われるように心地よかったし〜とにかく、空港に行くとテンションが上がるワタシは、すぐにでもどこかに飛行機に乗って旅立ちたいくらいでしたーー!イベントにはたくさんの方にお越しいただきましたね!レトロリスナーさんもたくさん声をかけていただき、嬉しあったです〜ありがとー!
そして、この日は、出雲縁結び空港お出迎えロビーが装いも新たになってのお披露目がありました。到着ロビーが、パステルな感じになって、あちこちにかわいい装飾がありました〜!手荷物が出てくるコーナーには、しまねっこがまわってくるとかね。ご縁の国しまねの玄関口、ハッピーな気持ちでしまねの旅をスタートできそうな〜素敵なご縁に恵まれそうなお出迎えロビーになってます。しまねでどんどんご縁が結ばれますように!
そして、今回は休日ってことで〜特集は「昭和」!昭和ネタ&昭和ソングのリクエストでした〜!たくさん、ありがとー!
・昭和といえば、腕時計のバンドにつけるカレンダーがありましたよね!よく保険会社のおばさんが持って来てくれたものです。小さな楕円形のアルミ製で、バンド幅に合わせて両側を折り曲げて固定していました。
・私は中学を卒業し医院に住み込みで学業と看護の仕事の両立で大変だったことが一番の思い出です。当時は親元離れ寂しかったですね〜今は手に職をつけた私、中学の私に看護の道に進むよう助言してくれた母を当時は寂しさあまり恨む(オーバーですが)こともありましたが、今はとっても感謝しています。
・私が生まれたのは昭和のど真ん中、戦時中の昭和19年です。そして、30〜40年代が青春時代の真っ只中です。昨年の夏に中学と高校の両方の同期会(古希の祝い)をしました。顔を合わせると直ちに中学生や高校生に戻り「〜ちゃん」「〜くん」の世界でした。当時、思いを寄せていた女の子(今ではバアサン)に「あのころ惚れとったんだぞ」と言ったら、笑いながら「知ってたよ」と言いました。でも・・・焼け木杭に火は着きませんでした。
・昭和の頃はレコードが高級品で、シングル盤が500円LPが3000円だったかなぁ。欲しいレコードがあると、親に頼んで買ってもらったもんです。
・私たちが高校入学するときは、必ず時計を買ってもらったもんですわ。父親と時計屋さんに行ったのは、つい最近のようですが。今は、携帯に変わっちゃいましたね。
・私はギリギリ昭和生まれ女子です。昔は、母が「ナツメロ番組」をよく見ていて、強制的に見せられていました。そんな中で、掘江淳さんの「メモリーグラス」はなんか衝撃的でした。男なのに、なんか女々しく聞こえるし、「水割り」ってすごそうー。オトナになったら、水割り飲むぞ!と思ったものです。実際オトナになったら、「水割りなんて、酒がもったいないぞ」な飲兵衛女子になってしまいましたが…。
・ワシらが小学生の頃は、「明治は遠くなりにけり」っていったもんですが、今や、昭和は遠くなりにけりですねぇ…昭和は、電話と言えば黒電話。早々の連絡は、電報。駅での待ち合わせは、伝言板。よう巡り会えたもんですな!
・会社でいつもの様に同僚のおっつぁんらと雑談してました。そのおっつぁんが「数えで54だわ」と数え年で自分の歳を言ってました。若手に数え年ってなんだね!?と聞き返されてました。確かに最近 と言うより平成に入ってからはとんと耳にしないフレーズですね。
・やっぱり、歌番組ですかねぇ〜!ザ・ベストテン…ザ・トップテン…ミュージックフェア…テレビの音声の出るスピーカーのまえに、録音ができる小さいカセットテープをおいて、好きな歌手や歌を録音してましたなぁ〜!静かにしてって家族に言うのに、わざと咳をする爺さん、「早く風呂へ入れ」と口うるさい婆さん、スローなバラードの曲の時に限って、屁をこくオヤジ!聞き取りにくい曲の歌詞を、一生懸命紙に書いて覚えてました。懐かしいですなぁ〜(^_^;)
・おいらの時代は、生まれてから、成人になるまで、いろいろな事を吸収する時代だった思ってます。子供の頃ウルトラマンや仮面ライダーの変身物に憧れ、ライダーキックの練習して、よくケガをし、中学生になると、[口さけ女]におびえ、親の寝静まった頃[11PM]を見て興奮し、高校生になった頃、[ルービックキューブ]が、どうやっても一面しかできず、大人になった昭和最後の64年には、[一杯のかけそば]話しに、涙した時代でした。戦争が終わった後の昭和は、平和だったと思います。
・私にとっての昭和のアイドルはやはりベイシティローラーズです。部屋中タータンチェックで埋め尽くされてました。レスリー派とウッディ派が多数を占める中、私はまさかのデレク派でわが道を行ってましたよ。
・昭和39年生まれの私は、次々と平成生まれの新入社員が入って来るようになって改めて世代間ギャップを感じています。しかし、年を取っていても礼儀をわきまえない人はいるし、平成チームにもイイ奴はいます。あまり年代だけでくくり過ぎない様にしなきゃと思います。
・「あのねのね」の追っかけをしていた、高校から短大時代の事。寝ても覚めてもあのねのね!私絶対、清水国明のお嫁さんになるー!もし無理なら関西の人と結婚する!なんて友達に宣言してた、初々しかったあの頃!今では、関西の人と結婚する!が叶って現実的な生活に至っています。
・宇津井健さん…またひとり 昭和を代表する大好きな俳優さんが亡くなられました…「ザ・ガードマン」から始まり 山口百恵さんとの「赤いシリーズ」など家族揃って夢中で見てた昭和の茶の間になくてはならない俳優さんだったと思います。やっぱり赤いシリーズの百恵ちゃんのお父さん役が一番印象深いです。ダンディーで素敵なお父さん…本当に理想でした。心よりご冥福をお祈りします…
・昭和57年の12月、馴染みの電器屋さんから当時発売された、CDプレイヤーとCDのアルバムを、試聴品として貸して頂きました。ステレオに接続し、PLAYスイッチを入れた瞬間、スピーカーからノイズも無く音が鳴り出した時には、驚きと感動を覚えました。当時毎日のように「貸しレコード屋」へ通い、LPレコードを借りては、ノイズを気にしながらカセットテープへ録音する日々を過ごしていた私は、音楽の新しい時代の到来を、肌に感じずにはいられませんでした。
・舗装道路より凸凹の道の方が多かった。春は家族全員参加のご近所さんたちと花見をした。夏は川で泳いで魚捕って焼いて食べた。秋は山に入ってアケビや栗を採って食べた。冬は竹スキーで遊んだ。ズボンには膝当てがしてあった。ハナタレ小僧がいっぱいいた。小学生の髪型が全員同じだった。貧しかったが夢があった。
・昭和と言えば「黒電話」。小学生の頃、好きな女の子の家に電話をするのにも難関が…。彼女の親が電話に出る場合があるのでドキドキでした!彼女の、お母さんならまだしも、お父さんが低い声で「はい、○○ですが?」と電話に出た時なんか怖くなり黙って電話を切ってしまった事も少なくありません(汗)
・私にとっての昭和とは、貧しさから豊かさへの過渡期でしょうか?小学校低学年の何もない時代から、小学校6年の東京オリンピック、高校3年の万国博覧会、就職しても高度経済成長であれよあれよと給料が上がり、モータリーゼーションの名の元に車検毎に車を買い換えるていました。昔は年に1、2回の外食が嬉しくてたまりませんでしたが、今は何処で食べようかと悩んでしまいます。今は物は豊かでも心は貧しくなったのかな?
などなどたくさんありがとう!「昭和は心のふるさと」というメッセージもありましたが、ほんとにそんな感じですよね。私たちの世代にとっては、生まれて青春時代〜大人になった昭和ですもの。そして、新しいものがどんどん入ってきたし・・・一言ではなかなか言い表せないけど、いい時代だったなぁと。パソコンもインターネットも携帯電話もなかったけれど、いろんな人と巡り合えて、語り合えて、いろんなモノにもであって、感動もいっぱいあったもんなぁ。
あの頃のラジオ番組は、ハガキで投稿が主体で、電話リクエストなんてのもあったし、のちにFAXリクエストになって。今や、瞬時にメールやネットでやりとりできるから早さでは全然違うのだけど、そのハガキを書いて送るというワンクッションがまたよかったりしましたね
昭和は遠くなりにけり・・・ほんとにそうですね。新しいものも入れつつ、古き良きものも大事にしていきたいですね〜そして、流行歌もそうですね。歌によって励まされ、その歌とともにいろんな思い出が・・・これは、昭和に限らずいつの時代もそうなんですが、そんな歌とエピソードをこの番組ではお送りしていきたいですね。時は流れていくけど、大事にしたいものは、語りついで歌い継いでいかなくちゃ!と思った今回の昭和特集でした。また、やりたいですね〜^^
で、来週のつどいのテーマは「これがきっかけで」・・・もうすぐ、新年度、新しい世界でがんばる〜という方もいらっしゃいますねー!これがきっかけで、この新たな道に進むことに決めました!とか、あの一言があったから、今の自分がある、とか、あれがきっかけで、こういうことになった。。。。などなど、レトロなリクエストとともに待ってます!
山陰から新たに旅立つという方も多いでしょうね!新しい場所でも、元気にがんばってねー!また、こっちに帰ってきたら、レトロ本舗きいてね〜!(あ、ドコデモFMでもきいてね〜^^)疲れたら、帰ってこいよーー!ふぁいとー!一発!
ではでは、安来のおじ〜どうぞ!
昭和の時代ねゃ〜、面白い時代でしたわ〜。
子供の頃、夏休みになるとウチよりさらに田舎にある親戚に何日間も泊まったりしましたけど、トイレが外にありましてねゃ。あ、トイレというより「便所」ですわ。
んで、夜中に便所に行くのが怖いんだこれが。
便器なんてなくて穴の上に板が置いてあるだけの簡素なもんで。灯りも薄暗く、そこにいる、いわゆる「便所コオロギ」が怖かったですねゃ〜。
でも、夏の夜の田舎は虫が鳴いて、土や草のとってもいい匂いがしましたねゃ〜。
シンガーソング100円ライター 安来のおじ
http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=895
レトロ日記 11:56 AM comments (x) trackback (x)