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2015.01.28 Wednesday
おがっちの「島根学講座!みたいな!」
このコーナーは、みんなで島根のことをいろいろ勉強していこう!というものです。
今回の担当は、はまぐり先生。
・島根県に縁がある百人一首の歌人について。
前回は、石見地方に縁が深い柿本人麻呂と、流罪となってやってきた隠岐で、恋の花を咲かせていた小野篁を紹介しました。
今回は「後鳥羽院=後鳥羽上皇」を紹介します。
後鳥羽上皇は、百人一首では99番目に「人もをし 人もうらめし あぢきなく 夜を思ふゆゑに 物思ふ身は」の歌が入っています。
西暦で1180年生まれ、平家都落ちの混乱の中、4歳で天皇に即位、譲位後も20年以上にわたり上皇として院政を敷かれました。
承久3年(1221年)、鎌倉幕府倒幕の兵を挙げましたが失敗し、隠岐へ移られ、在島19年、60歳で亡くなりました。
上皇は歌人としても有名で、「新古今和歌集」を編纂し、隠岐在島中も和歌への情熱は衰えず、隠岐で詠んだ700首近い和歌の中から、「遠島百首」が編纂されました。
中でも「我こそは 新島守よ 隠岐の海の荒き波風 心して吹け」は有名です。
後鳥羽上皇は、現在の海士町にあった源福寺を行在所とされました。海士町には、上陸された際に休息をとるため腰掛けられた石、「行在所跡」、「御火葬塚」などが残っており、上皇をお祀りする「隠岐神社」もあります。
現在、島後で行われている「牛突き」は、上皇が、牧畑で牛が角を突き合わせているのを見てお喜びになったことから、上皇をお慰めしようと始まったと伝えられています。
隠岐の島には歴史ロマンにあふれる史跡や伝統文化が多く残っています。
次に、菅原道真を紹介します。
この人は、現代では「天神様」「学問の神様」として厚く信仰されている有名人ですね。百人一首では、「菅家(かんけ)」の名で、「このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」が24番目に入っています。
菅原道真は、右大臣の地位から失脚し、福岡県にある太宰府の権帥として左遷され、その地でなくなったことは有名です。
しかし、出身地については、いくつか説があるようです。その一つに、松江市宍道町が生誕の地であるという言い伝えがあります。
今の松江市宍道町菅原の地には、「相撲の神様」とされる野見宿祢のお墓があります。
この野見宿祢は菅原家の祖先とされ、道真の父が出雲国庁在任の折り、野見宿祢の墓参りをした際に案内をした娘を寵愛し、二人の間に生まれたのが道真であったと言われています。
道真の父は、道真が生まれる前に任期が終わって都へもどっていたそうですが、道真は6歳までこの地で過ごしたあと、母に連れられて都に上りました。以降は、都の父のもとで学問に励み、人並み外れた才能が花開き、学者文人・政治家として活躍し、右大臣にまでつとめた・・・という経歴につながっていきます。
現在、道真生誕の地には菅原天満宮があり、受験シーズンには多くの参拝者が訪れています。
菅原道真は、太宰府でなくなった後、紆余曲折をへて、現在では全国数千箇所で、「天神様」として祀られています。島根県でも100を超える神社で祀られています。
センター試験も終わり、受験シーズンまっただ中です。たくさんの受験生から受けた願いをかなえるために、天神様は大忙しの日々を送っているのではないでしょうか。
・今日の一曲
ZARD/負けないで
次回は2月13日の放送です。
http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=1012
レトロ日記 04:04 PM comments (x) trackback (x)