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2013.01.13 Sunday
おがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」
このコーナーは、みんなで島根の歴史や文化を勉強していこう!というもの。
ゲストは、「リメンバーしまね」スタッフ ざっきーさん。
【鏡餅と鏡開きの歴史】について。
・なぜ、鏡餅を飾るのか?
お正月行事は、新年の神様である「年神様」を家に迎えて、もてなし、見送るための行事で、お迎えした年神様の居場所が鏡餅と言われている。
昔から、年神様は、新しい年の幸福や恵みと共に、私たちに生きる力を分けてくださる、つまり正月は1年分の力を授かると考えられていた。
また、丸い餅の形が昔の銅鏡に似ていることから、古来から鏡には神様が宿るところとされていた。ご神体としての鏡をお餅で表したため「鏡餅」と呼ばれるようになった。
また、鏡餅の「鏡」は、「鑑みる(かんがみる)」、つまり良い手本や規範に照らして考えるという意味の言葉にあやかり、「かんがみもち」とよぶ音がしだいに変化して鏡餅になったとも言われている。
さらに、鏡餅の丸い形は、大小2段で月と太陽、陰と陽を表し、円満に年を重ねるという意味もある。
・鏡開きについて
1月11日は、一般的な鏡開きの日で、木槌などで鏡餅を割砕き、無病息災と延命を祈願して雑煮やぜんざいにして頂く。
一般的に、1月11日が鏡開きの日だが、地方によっては日が違い、京都では、1月4日とか、ほかには1月15日や1月20日に行う地方もある。
現在のような「鏡開きの行事」は、もともとは武家社会の風習だったものが、一般化したようで、この風習は室町時代(14世紀頃)から行われてきたと言われている。
武家では、「具足(ぐそく)開き」と言い、男性は具足(鎧や兜のこと)にお供えした「具足餅」を、また、女性は鏡台にお供えした「鏡餅」をそれぞれ雑煮にして食べたことが始まりのようです。
また、古来正月は、20日が祝い納めであったようで、20日に鏡餅をおろしたようだ。具足に供える餅を食べるのを「刃柄(はつか)を祝う」とか、また、女性が鏡台に供えた鏡餅を開くことを「初顔(はつかお)祝う」と言ったことから、武家では一般に20日(はつか)に鏡餅をおろし、これを「20日祝い」と言っていた。
昔は鏡開きは、1月11日では無かったが、実は、徳川3代将軍家光の亡くなった日が20日(慶安4年4月)であったため、20日を忌み日として避け、松の内の後の1月11日に改められたと伝えられている。
武家社会では、「切る」は切腹を連想させるため忌み嫌い、手や木槌で割るのを作法としていた。おめでたいときに「割る」という言葉も縁起が悪いため、「運を開く」にかけて鏡開きと呼ぶようになった。
また、鏡餅を食すことを「歯固め」とも言う。これは、硬いものを食べ、歯を丈夫にして、年神様に長寿を祈るためと言われている。
今年一年、よい年でありますように。
・今日の一曲
「お茶なと飲みましょう」安来のおじ
次回は1月25日の放送です。
http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=722
おがっちの島根歴史学講座!みたいな! 08:52 AM comments (x) trackback (x)