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「おがっちの島根学講座!みたいな!」第8回

2013.08.08 Thursday

投稿者:おがっち


おがっちの「島根学講座!みたいな!」
このコーナーは、みんなで島根のことをいろいろ勉強していこう!というものです。

今回の担当は、リメンバーしまねスタッフのやまきょんさん。

今回は、「島根に伝わる女人にまつわる伝説」について。

島根で美人といえば、美人湯が有名ですが、美しい女性にまつわる、悲しい伝説「絵姿女房」、「6日の菖蒲売り」とも言われている伝説です。

室町時代の頃のお話で、今の東出雲町の上意東の大江(だいご)というところに、とてもとても美しい大江美人と呼ばれた娘がいました。
年頃になって、お婿さんを迎えて、二人は仲睦まじく、とても幸せに暮らしていました。
そんな二人は、いつも一緒にいたいとの思いで、あるとき、夫がこう思いつきました。
「掛け軸に妻の絵を描いてもらって、畑や田んぼで仕事をしているときは、そばに掛けておこう!そしたら、いつも一緒にいられる気分だ」と、絵師に妻の絵を描いてもらいました。

ところが、ある日、その掛け軸を掛けて、畑を耕していると、突然、大風が吹いてきて、掛け軸を吹き飛ばしてしまいました。
あろうことか、その掛け軸は、都まで飛ばされていき、なんと将軍家の庭に舞い落ちました。
時の将軍はこの美人の絵姿を見て、ひとめぼれしてしまいました。
「何処かにこの美人がいるにちがいない。探して必ず連れて参れ!」
と命じました。
娘は、とうとう、みつけられてしまって、かわいそうに、無理やり、都へ連れていかれました。
当然、夫は、悲しみに打ちひしがれていたんですが、あるとき噂で
「5月5日の端午の節句の日だけは、菖蒲売りが将軍家の庭に入ることが許される」という話を聞きました。
そこで、一目だけでも妻に会いたいと、夫は、必死の思いで、菖蒲を集めて、都に向かいました。
出雲の国から都へ・・・ずいぶん長い距離があり、結局、着いたのは、翌日の5月6日。
当然、将軍家のお庭には入れず、がっくりきた夫は、せめてもと、塀の外から「菖蒲や菖蒲〜」と悲しい声で呼び歩きました。
すると、妻の方は、その声が夫の声だと気が付いて、屋敷を抜け出して二人は再会できました。
二人はそのまま、都を離れ、必死の思いで、故郷にむけて逃げたのだそうです。
なんとか、故郷の意東川のほとりまでたどり着けたのですが、故郷のなつかしい山々が見えたところで、
妻は、張り詰めた気がゆるんだのか、バッタリと倒れて死んでしまいました。

今でも、下意東の松原にある旧道沿いには、大江美人の塚があって、周辺には花菖蒲が植えられているそうです。


ところで、もう一つ強烈な女性にまつわる伝説「七尋女房(ななひろにょうぼ)」という、隠岐に伝わる伝説です。

七尋女房は「10何メートルもある女の人」という意味だそうです。一尋が手を拡げた長さで、それが7尋で、10何メートルというわけです。これは、海士町に伝わる妖怪のお話です。

昔、ある人が、日暮れどきに、馬に乗って集落に向かっていたら、山の方から誰かが石を投げてきました。
「妖怪か!」と思って刀を手に山に登ると、10何メートルもある大女が、気味悪くニタリと笑って、そこに立っていました。すかさず斬りつけると、なんとそれがたちまち凄い面相をした石に化けてしまったそうです。

今も、県道から山道を5分くらいいったところに、その石が残っています。それは、険しい形相の人面岩となって。

リメンバーのわいわい広場に、この七尋女房岩の写真が投稿されています。ぜひ、検索してみてください。

今日の一曲
「トゥナイト」ウェストサイドストーリーより

次回の島根学講座!みたいな!は、8月9日です。

http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=807
おがっちの島根歴史学講座!みたいな! 10:39 AM comments (x) trackback (x)

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