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2012.01.16 Monday
第11回のおがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」
ちょっこし歴女のおがっちと島根の歴史と文化について学ぶコーナー。
今回は、「島根はじまりの物語」について。
・古事記に最初に登場する神話が、国生みの話。
イザナキノミコトとイザナミノミコトが、最初につくられた8つの島々のうち3番目に生まれたのが「隠岐の島」。
淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡島、本州の8つの島をつくられ、日本の島々をつくられた。
・「なでしこジャパン」大和撫子と言えば、可憐で繊細だけど心は強い日本女性の理想。
この「撫子」という言葉が、あのヤマタノオロチ伝説に登場するクシナダヒメに関係がある。
語源ハンターのわぐりたかしさんによると、クシナダヒメは、両親が撫でるように可愛がって、大切に育てられたということで、まさに、「撫子」。
それで、クシナダヒメのように可憐な花を「撫子」といい、日本の「撫子」だから「大和撫子」。
・お正月の歌「一月一日」について。
作詞者は、出雲大社の第80代国造の千家尊福さん。出雲大社の神楽殿の前には、歌碑も建っている。
千家尊福さんは、埼玉、静岡、東京の知事をして、明治41年には、西園寺公望内閣の司法大臣になった。
・今日の一曲は、神々の国しまねの公式メッセージソング、谷村新司さん作詞・作曲の「はじまりの物語」。
次回は1月27日の放送です。
http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=582
おがっちの島根歴史学講座!みたいな! 12:38 PM comments (x) trackback (x)
2011.12.24 Saturday
第10回のおがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」
ちょっこし歴女のおがっちと島根の歴史と文化について学ぶコーナー。
今回は、クリスマスにちなんで「愛の歌特集」。
・「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
松江の八重垣神社の名前の由来となっている。日本で最初の和歌とも言われている。
スサノオノミコトと櫛名田比売の新居となったお宮を建てたときに詠んだと古事記には書かれている。
意味は「たくさんの雲の立ち上るこの出雲の地に雲のように幾重にも垣根をめぐらし私と妻のすむ宮のまわりを幾重にも垣根を巡らして、守ることにしよう」新婚の愛の歌である。
・小野篁(おののたかむら)の歌について。
平安時代の有名な歌人。隠岐に流罪になった1年2ヶ月の間に、伝承によると、3人もの女性と恋をしたという。
なかでも、五箇の阿古那との恋物語が有名で、隠岐の「隠岐盆唄」という盆踊りの歌の歌詞で伝わっている。
「都帰りの日が訪れる 聞いて阿古那は哀しむばかり 見るもあわれな阿古那を呼んで、仏二つを阿古那に渡し
この世で二度は逢えない恋と精魂こめて彫ったる仏・・・」と続いていく。
・「万葉集」とも島根は深いつながりがある。
万葉集にもたくさん歌がのっている大歌人「柿本人麿」は、一説には、石見の生まれでないかともいわれている。
人麿が石見で亡くなる間際につくったといわれる歌が載っている。
益田市などには人麿を祀った神社や、終焉の地とされる場所など、石見部には人麿ゆかりの地が多くある。
本当に石見生まれかどうかは確かでないが、石見の国の国司として赴任したと言われ、江津の「依羅娘子」という女性と結婚している。
人麻呂が都に帰るときに、妻を想って詠んだ歌や、二人で読みかわした歌などが「相聞歌」として伝わっている。
相聞歌とは、分かりやすく言うと、愛の歌。
「石見のや、高角山の、木の間より、我が振る袖を、妹(いも)見つらむか」
「妹(いも)」は、妻や恋人のこと。
この歌の意味は、「石見の高角山の木の間から私が振る袖を、妻は見てくれたでしょうか。」と離れる妻への愛をうたっている。
・今日の1曲
ノグチアツシ「万里を渡る雲のように」
次回は1月13日の放送です。
http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=574
おがっちの島根歴史学講座!みたいな! 05:39 PM comments (x) trackback (x)
2011.12.10 Saturday
第9回のおがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」
ちょっこし歴女のおがっちと島根の歴史と文化について学ぶコーナー。
今回は、「島根と異国とのつながり」について。
・スサノオノミコトについて。
古事記には、スサノオノミコトが、天界から追放されて、鳥髪の地に降り立たれたとある。
出雲国風土記を参考に考えると、鳥上山、現在の船通山のことらしい。
ところが、日本書紀の一書の中には、これとは異なる伝承がある。
高天原から追放されたスサノオノミコトは、こどものイソタケルノカミとともに、朝鮮半島の新羅の国に天下って、
のちに、赤土で造られた船で東に航海して日本に渡って、簸の川上にある鳥上の峰に至ったと記されている。
古事記は、稗田阿礼が口ずさみで伝えてきたものを太安万侶が書き残した。
日本書紀の方は、そのあと、編纂されているので、そこに、いろんな考えがはいったのかもしれない。
あるいは、本文に記されている伝承とは異なる伝承も併記しようという意図もあったのかもしれない。
研究者の間でも、古事記と日本書紀の内容の違いについてどういう意味があるんだろうと、いろいろな議論がされている。
・朝鮮半島から渡ってこられたスサノオノミコト一行が、どこから上陸したか。
石見地方にいくつか、「ここから上陸された」といわれている場所が残ってる。
例えば、大田市の五十猛町には、スサノオ一行が舟をつないだといわれる神島、上陸した浜辺の神上、スサノオと子ども達が別れた神別れ坂という名前が残ってる。近くにはスサノオノミコトを祀る韓神新羅神社やイソタケルを祀る五十猛神社や他にもいくつか、由来のある神社がある。
・出雲市平田の日本海側にある猪目洞窟について。
猪目洞窟は、出雲国風土記に載っている。
「夢にこの磯の窟の辺に至る者は、必ず死ぬ。
故、俗人古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり」
これは「夢で猪目洞窟に行った者は必ず死ぬ、ここは黄泉の穴である」という意味。
・海外との交流について。
昭和23年に、この猪目洞窟から、弥生時代から古墳時代にかけての十数体の人骨や、土器、木製品などが発見された。
なかには、男性の人骨で、右腕に貝でつくった腕輪を着けたものもあって、古墳時代のものらしい、丸木舟もあった。
地元の人の話では、海上生活者、朝鮮半島と行き来をしていた人たちのお墓ではないか。
洞窟の大きさは、幅が30m、奥行きは30m。奥へ行くに従って天井が低くなっている。
この近くには、韓竈神社があり、スサノオノミコトがまつられている。
スサノオノミコトは、新羅から「植林法」と「鉄器文化」を伝えられたとという説もあって、カラカマというのは朝鮮から渡来した「釜」のことらしく、何らかの形での大陸との交流があったのではないか。
・今日の1曲。
角松敏生さん「Always Be With You」
出雲市出身、錦織良成監督の島根3部作の第1作目の作品「白い船」の主題歌。
次回は12月23日の放送です。
http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=569
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2011.11.27 Sunday
第8回のおがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」
ちょっこし歴女のおがっちと島根の歴史と文化について学ぶコーナー。
今日は島根の「島根の地名」について。
・「島根」は・・・
「出雲の国」と「石見の国」、「隠岐の国」というのは、奈良時代のころから。
「島根」という名が付けられたのは、明治4年、1871年。
出雲國風土記に、「島根郡」という地名が登場。八束水臣津野命が名付け親。
・出雲、石見、隠岐の由来。
出雲という地名は、「八雲立つ出雲」美しく雲がわき出る姿から名付けられたというのが有力な説。
石見という地名は、石見の伝承で、昔、出雲と石見が一つの国だったときに、石見には岩石が多くあることから、「石充」とか、石の実と書いて石見とか呼ぶようになったなど諸説ある。
隠岐という地名については、古事記にも日本書紀にも書かれていない。伝承では、天照大神が隠岐にあった40余丈もある木を見られて、
「美しき御木(おんき)」だといわれて、「おき」になった。
・番外編
「恋山」と書いて、「したいやま」と読む。
日本海に住む1匹のワニが、玉日女命に恋をして夜な夜な、斐伊川をのぼってくる。
ところが、玉日女命の方は、ワニを嫌って、たくさんの岩で川をふさいだ。
ワニは「ただただ慕うばかりだった」という意味の「ただただしたぶる」から恋山というようになった。
伝承上では、そのワニが鬼になったことから鬼が慕う、慕ぶる、から舌震いというようになった。
和泉式部は子どもを身ごもった体で、九州に住む父親を訪ねる旅の途中で、今の浜田市に着いたところで陣痛がおこって、女の子を出産。
そのときに近くの小川で産湯を使ったということで、その場所が現在の生湯町(うぶゆちょう)といわれている。
・きゃら在月について。
12月3日、4日、松江のくにびきメッセに全国からゆるキャラが集まるイベントがある。
・今日の一曲。
「しまねっこの歌」ことのは
次回放送:12月8日
http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=562
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2011.11.12 Saturday
第7回のおがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」
ちょっこし歴女のおがっちと島根の歴史と文化について学ぶコーナー。
今日は島根の「神在月」について。
・旧暦では、今がまさに神在月。11月5日に神迎えの神事が出雲大社で行われた。
八百万(やおよろず)の神というのは、全国から、数え切れないほどの神様が集まってこられるということ。
・島根以外、長野県の諏訪大社周辺でも神在月という伝承がある。
諏訪大社といえば、「古事記」の「国譲り神話」の中で、大国主命の息子である建御名方(タケミナカタ)と、建御雷(タケミカヅチ)が相撲をした話を以前したが、その相撲の後、建御名方(タケミナカタ)は諏訪に行き、そこで祀られたと言われていて、それが諏訪大社の起源。
その諏訪大社周辺でも、神在月と言う。
「諏訪明神」の体があまりにも大きいので、諏訪に残られることになった。
まさに、留守神といわれる伝承。、
伝承によると、諏訪明神は蛇の体をしていて、頭の方は出雲大社に着いているのに、尻尾はまだ、諏訪に残っていたくらい大きかった・・・。
・出雲大社の神在祭は、神迎え神事といって、稲佐の浜で、八百万の神様がおこしになるのをお出迎えしてはじまる。
出雲大社だけでなく、松江市の佐太神社や神魂神社、多賀神社、出雲市の日御碕神社や神立橋のたもとにある万九千神社でも神在祭が行われる。
神様方の相談事が終わって、神様が出雲を立たれることは、「からさで」と言う。
万九千神社の近くの斐伊川にかかる「からさで大橋」や近くの「神立(かんだち)橋」の名前の由来は、こういうところからきているらしい。
この神在月の間は、出雲地域では、「お忌みさん」といって歌舞音曲や家の修理・新築、はたまた爪を切るなど、音を立てることを控える風習がある。
・今日の曲
松山優太さんの「縁結び」
島根と県外を結ぶ遣島使。
この歌は、出雲大社と神在月をモチーフにして、せつない恋心を歌ったもの。
松山さんの「えにしずく」という曲は、島根をモチーフにしている。
松江市立女子校の皆さんが発案した「縁雫」という言葉にインスピレーションを受けて、作られた曲。
次回放送:11月25日
http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=554
おがっちの島根歴史学講座!みたいな! 09:58 PM comments (x) trackback (x)