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おがっちのレトロ本舗 永遠のミーハー人間おがっちとシンガーソング100円ライター安来のおじが送る生放送

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「おがっちの島根学講座!みたいな!」第1回

2013.04.18 Thursday

投稿者:おがっち


今回から「おがっちの島根歴史学講座!みたいな!」が「おがっちの島根学講座!みたいな!」にリニューアル!

島根県に関することならなんでも情報提供していく番組です。

【桜の名木・古木について】
・松江市石橋町にある、樹齢200年以上と推定されるしだれ桜。枝張は、四方約18mに広がり、満開になると、柳の木か藤の花のごとく、薄紅色の花すだれが風になびくさまは圧巻の桜を紹介。平成10年5月に松江市の天然記念物に指定されています。
・飯南町下来島の祝原の桜、樹齢は約400年のエドヒガンの桜。国道184号から離れ神門川沿いに来島湖に向かう途中にあります。山陰に西向きに立つため、太陽を求めるように西向きに傾いています。町の天然記念物に指定。
・三隅の三隅大平桜は、推定樹齢約660年、枝張り東西24m、南北29.6m、日本で唯一、彼岸桜と山桜の両方の性格を併せ持った貴重な品種。
花は白色で枝振りの雄大さから雪の小山を見るような景観。昭和10年国の天然記念物に指定、その当時は幹枝が11本あったといわれるが、その後の山火事・台風で折れたりし現在4本が残ります。
・三隅に市の天然記念物「海老谷桜」は、推定樹齢約350年。2008年4月1日未明に一度倒れて別の場所に植えなおされ、2011年(23年)以降は、開花しなかったのですが、今年の3月31日に開花したそうです。
・隠岐の島町の元屋には世間桜(よのなかざくら)というのがあり、花の咲き具合でその年の豊凶を占うという桜です。隠岐に配流された後醍醐天皇のお供で、臨済僧の三光国師が建立した建福寺跡の裏山を登ったところにあります。樹齢600年を超える二本の男桜と女桜を総称したもので、三光国師が手植えしたものと伝えられています。
男桜は、幹周4m、高さ15mで4月上旬から白い花を咲かせ、女桜は、幹周3m、高さ13mで男桜より10日ほど遅れて薄紅色の花を咲かせます。
古くから、豊年には花が咲き、凶年には咲かないと言われ、江戸時代には「世の中知らせ桜」という名前で江戸幕府にまで知られていたそうです。
今年は、男桜が8日、女桜が9日に満開になったそうです。

【日本さくら名所百選に選ばれた島根県の桜の名所】
・松江城山公園と雲南市木次にある斐伊川堤防桜並木です。

【島根県の標準木】
桜の開花宣言をするのに、標東京で言えば、靖国神社に標準木がありますが、島根県は、松江地方気象台構内に標準木があります。
標本木全体の80%以上のつぼみが開くと、「満開」として発表されます。

【平成の大遷宮 出雲大社展】
6月16日まで、出雲市の古代出雲歴史博物館で特別展「平成の大遷宮 出雲大社展」が開催されています。およそ60年ぶりに行われる遷宮を機に開催するこの特別展では、国宝や貴重な文化財およそ140件を展示します。

【今日の一曲】 
わたしの青い鳥/桜田淳子

次回の放送は、4月26日です。

http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=760
おがっちの島根歴史学講座!みたいな! 09:14 AM comments (x) trackback (x)

おがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」3月22日

2013.03.28 Thursday

投稿者:おがっち

おがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」
このコーナーは、みんなで島根の歴史や文化を勉強していこう!というもの。

ゲストは、「リメンバーしまね」スタッフ やまきょんさん。


【桜について】
品種改良や自然交配などで、江戸時代末までに約300種、現在では600種を超えるといわれている。

実は、よく名前を聞く「ソメイヨシノ」は、江戸時代末から明治のはじめ頃に東京の今の豊島区駒込にあった染井村から広まった、比較的新しい桜。

実際には、古くからある山桜や、彼岸桜だったのではと考えられている。
奈良時代の花見といえば、梅だったようだが、桜も、昔から日本人に愛されていて、万葉集には桜の歌が44首も載っていると言われている。

古今集の
「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花ぞ散るらむ」この花は、桜のこと。
平安時代の歌人、紀友則の歌で、百人一首にもあるし、教科書にもよく載っている有名な歌。
(こんなに日の光がのどかに射している春の日に、なぜ桜の花は落ち着かなげに散っているのだろうか。)

古くから詩や歌に詠まれてきたのは山桜が多いようだが、日本各地の長寿の桜として有名なものには、彼岸桜の種類のものが多い。

例えば、日本の5大桜として有名な岐阜県の淡墨桜は樹齢1500年以上の江戸彼岸桜。

島根の桜の名木といえば、三隅の大平桜が有名。彼岸桜の一種と言われていて、日本に一本しかない珍しい桜とも言われている。
樹齢がおよそ660年、幹の周囲は6m、枝の広がりが27m、満開になると、桜の花がまるで雪の小山のようになる。

珍しいところでは、早咲きで濃いめのピンクの花をさかせる河津桜がある。雲南市大東町の春殖には、地区の皆さん有志の手により、約1000本もの河津桜が植栽されている。

もう一つ、珍しい桜といえば、淡い緑色の桜、「御衣?」がある。
県内では、三刀屋川河川敷や三刀屋城址公園でみることができっる。開花時期は、ソメイヨシノより少し遅い頃。
名前の由来は、貴族の衣の萌黄色に近いことからと伝えられている。

桜といえば、桜餅。
島根で桜餅といえば、桜色のクレープのように丸く伸ばした生地であんこを包んだもの。
御衣?が咲く時期、地元の和菓子屋さんには、淡い緑色の桜餅があり、人気。

松江城山公園は、雲南市木次町の斐伊川土手堤防とともに、日本さくら名所100選にも選ばれている名所。
ソメイヨシノを中心にヤエザクラ、シダレザクラなど約200本を超える桜の花を楽しめる。

2011年8月からスタートしたこの「島根歴史学講座!みたいな!」コーナー、来月からは、「島根学講座!みたいな!」という形で、歴史以外にもテーマを広げて、島根の通な情報を広く、ゆるくお送りします。

・今日の一曲
「スタートライン」山根万里奈

「おがっちの「島根学講座!みたいな!」の初回は、4月12日の放送です。

http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=752
おがっちの島根歴史学講座!みたいな! 05:52 AM comments (x) trackback (x)

おがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」3月8日

2013.03.09 Saturday

投稿者:おがっち


おがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」
このコーナーは、みんなで島根の歴史や文化を勉強していこう!というもの。

ゲストは、「リメンバーしまね」スタッフ ざっきーさん。

【道】について。
中国横断自動車道尾道松江線の吉田掛合ICから三次東ジャンクション・インターチェンンジまでの区間が3月30日17時に開通。松江市から広島市までの所要時間が約50分短縮できて、約2時間50分になる。

・「国道9号」の歴史について。

9号線の起点は「京都市下京区烏丸五条交差点」で、終点は「下関市下関駅西口交差点」までの742Kmの5府県(京都府、兵庫県、鳥取県、島根県、山口県)を通っている。
9号線は、昭和27年12月4に新道路法に基づく路線指定で「一般国道9号線」と指定された。
明治18年ごろは、国道25号線、大正9年からは、国道18号線とも呼ばれていた。

・日本の古代道路について。
古代の道路は、獣道のような道ではなく、現代の高速道路のように2車線〜4車線幅のまっすぐな道だったそう。
日本の古代道路は、飛鳥時代から平安時代前期にかけて、中央政府が計画的に整備・建設した。

中央と地方の情報伝達を迅速・円滑に行うために駅伝制が実施され、この駅伝制の下で、中央と国内各地を結ぶ道路網が整備されていた。その道路は、幅員が広く長い直線区間を持つ古代日本のハイウェイであり、現代もその痕跡が残っている。
東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道という七道が、7世紀後半から8世紀にかけて建設。その規模は都から本州・四国・九州の66国2島全てに達する壮大なネットワークだった。

現在では、東海道のルートを国道1号がほぼ踏襲。山陽道を国道2号が、北陸道を国道8号が、山陰道を国道9号、南海道は国道11号と変遷している。

・国道54号の歴史について。

起点が、広島県広島市中区大手町四丁目で終点が島根県松江市雑賀町の全長170kmの国道。国道2号と国道9号を結ぶ「陰陽連絡国道」の幹線道路。

1953年(昭和28年)には、二級国道182号広島松江線として開通。
1963年(昭和38年)に、国道54号線と名称が変更され、約50年の歴史がある。ちなみに、青雲トンネル周辺は、かつては54号線のバイパスの頓原道路として、昭和39年に開通した有料道路だった。昭和56年から無料になっている。

今回、その国道54号と並行して、尾道松江線の三次までの区間が3月30日午後5時に開通する。
13時30分ごろ、雲南吉田IC付近で「テープカット」などの祝賀行事が行われる。

尾道松江線の全線開通は、平成26年度の予定。尾道から「しまなみ街道」で愛媛までつながる。

・今日の一曲
「風」大瀬戸千嶋

次回は、3月22日の放送です。

http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=744
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おがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」2月22日

2013.02.23 Saturday

投稿者:おがっち

おがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」
このコーナーは、みんなで島根の歴史や文化を勉強していこう!というもの。

ゲストは、「リメンバーしまね」スタッフ ざっきーさん。

【おでんの歴史】について。
2月22日は「おでん」の日。熱いおでんを「ふーふー」することから、2007年に「おでんの日」となった。

・「おでん」のルーツは、「田楽」。
室町時代に、豆腐にみそを塗り竹串にさして焙るという料理が流行し、その料理が田楽法師たちが白い袴をはいて?足(今でいうホッピングみたいなもの)に乗っておどる「田楽踊り」の姿に似ているという事から「田楽」と名づけられた。
そして、味噌をつけて焼いたコンニャクなども田楽というようになり、最終的には田楽という呼び名が煮込み料理全体を指すようになった。また、この時期に、宮中の女性たちが使った言葉、女房詞で、この料理のことを「おでん」と呼んだそうで、「おでん」という名称が広まったようだ。

現在のおでんの原型は、天明2年(1782年)に刊行された100種類の豆腐料理の調理方法を解説した料理本「豆腐百珍」に登場する「今出川豆腐」と言われているが、定かではない。その今出川豆腐は、だし汁と酒で豆腐を煮込んで醤油で味付けしたものと言われている。

・おでんと島根とのかかわりについて。
松江藩七代目藩主、松平不昧公の行動を記述した「松平不昧傳」によると、ある茶会での懐石料理のメニューに、先ほど「今出川豆腐」が登場している。

江戸時代は、濃口醤油が出回っていた江戸では、濃口醤油味で煮た「おでん」が普及したが、関西では、昆布・鯨・牛すじなどのだしと薄口醤油で煮込み、味噌をつけるおでんが定着してきた。
江戸時代末期、単身赴任者が多かった江戸の町では、「早く」「旨い」ものが求められ、大阪式の味噌おでんのように、温めて、味噌を塗ってでは、手間がかかった。江戸の醤油味の煮込みおでんがもてはやされたのは、「早く」て「旨く」また、縁起を担ぐ江戸っ子が仕事や金回りに「ミソをつける」のを嫌ったとも言われている。

・現在のおでんについて。
東京のおでんは、飴色に煮詰まった大根が特徴的な濃い醤油色。そして、大阪のおでんは、昆布の効いたかつおだしに薄口醤油とみりんで甘味をつけた淡い色。京都は大阪のように甘味を効かせないメリハリのある、はんなりした味。名古屋は八丁味噌で煮込む味噌煮込みおでんが特徴。
平成20年の調べで、全国の県庁所在地でおでん料理店として登録されたお店の数は、松江市が人口比率で日本一だった。ちなみに、最近は金沢の方が多いようだ。

「松江のおでん」は、他地域との違いをあげるなら、まず「黒田セリ」「春菊」などの葉物をおでんの具にしているところ。

・今日の一曲
「硝子の心」小片悦子

次回は、3月8日の放送です。

http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=737
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おがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」2月8日

2013.02.11 Monday

投稿者:おがっち

おがっちの「島根歴史学講座!みたいな!」
このコーナーは、みんなで島根の歴史や文化を勉強していこう!というもの。

出演は、「リメンバーしまね」スタッフ やまきょんさん。

【奈良時代について】

・隠岐国の木簡
平城京は、710年に今の奈良県につくられた都。
これまでの発掘調査で、たくさんの木簡が、出土していて、その中に、隠岐国と書いた木簡がたくさんある。
これは、当時、隠岐から都へ運ばれた貢ぎ物の荷札。
木簡には、隠伎国海部郡佐伎郷云々の地名のあとに、「調 海藻六斤」、「調 烏賊 六斤」、「調 短鮑 六斤」と書いてある。

調というのは、税のこと。
税の種類として「租庸調」があった。粗が稲のことで、調が地方の特産物など、庸は労働とか布でおさめていた。
この木簡に書いてあるのは、隠岐国のどこそこの調として、め→わかめ、イカや干しあわびなどが六斤、という意味。(六斤は、およそ3.5キロ〜4キロのこと)
当時、基本的に隠岐の人々が自分たちで奈良の都まで運んでいった。隠岐から奈良までおよそ35日くらい。
隠岐の海産物は、当時の天皇をはじめとする朝廷の人々の食卓を豊かなものにし、大人気のブランド食材だった。
一方で、隠岐の古墳などからは、地方の古墳からはなかなか出土しないような都の土器や銅でできたお椀などが見つかっており、当時の隠岐が朝廷といかに密接な関係があったかが分かる。

・国分寺と国分尼寺
741年に聖武天皇が、仏教によって国家安泰を祈ろうと、国ごとに国分寺と国分尼寺を建てさせたが、県内でも、石見国、出雲国、隠岐国にそれぞれ、国分寺と国分尼寺が建てられていた。

石見国分寺は、浜田市の今の国分町に、国分尼寺もその近くにあったと考えられているが、建物配置などくわしいことは分からない。
出雲国分寺は、松江市の竹矢町にあった。こちらは、金堂や塔の跡がみつかっており、その全容がほぼ明かになっていて、国分尼寺はその500mくらい東の方にあったそう。
隠岐国分寺は、平成23年の発掘調査で、現在の国分寺と同じ場所から古代の建物跡が見つかっていて、国分尼寺はその南東500mのところにあったそう。

国庁というのは、国の役所のことで、国庁などの役所があったエリアを国府という。
奈良時代には、都から国司と呼ばれる役人が派遣されて、国を治めていた。
国司は、現在の知事のようなもので、行政官としてだけでなく、警察や裁判の一部も担っていた。任期は、4年から6年くらいだった。

出雲国庁は、松江の茶臼山の麓の意宇平野にあった。国引き神話で、やつかみずおみづぬのみことが「おう」といわれたあの「意宇」。
しかし、石見国府、隠岐国府は、どこにあったかよくわかっていない。おそらく、石見国府は浜田の上府か下府のあたりではないかと言われている。
隠岐国府の方は、隠岐の島町の下西か、八尾平野にあったのではないかと推定されているが、確かなことはわからない。

八雲立つ風土記の丘周辺では、古墳や出雲国府跡、古代寺院跡など主な史跡が公園として整備され見学しやすくなっている。

・今日の一曲
白築純「百年先の今日の日に・・・」

魂を揺さぶる炎の舞 「石見神楽」松江公演が、島根県民会館中ホールで、2月16日(土)昼の部、夜の部の2回公演あります。迫力の神楽をご覧ください。

次回は、2月22日の放送です。

http://fm-sanin.co.jp/retoro/index.php?e=731
おがっちの島根歴史学講座!みたいな! 11:24 AM comments (x) trackback (x)

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